集合的無意識に近づきたい

社会の底辺で生きる高齢ド素人が《ミスiD》オーディションに応募した経過を綴ります。面白ネタも書きます。

《ミスiD》を受けること自体が、私にとって治療的行為なのだ

先週の金曜日、ミスiDの2次通過者が発表された。私は4000名中の133名に選ばれ、セミファイナリストになることができた。(ミスiDとは、講談社主催の次世代アイドルオーディション。こちらを参照)書類選考、2次選考と、死に物狂いでここまできた。そこまでしても、このオーディションを受ける意義があった。それは、自分自身の”影”と戦う必要性を感じたからだ。

 

”影”とは、その人の生きてこれなかった側面のことである。

私の例でいうならば、〈暗い自分〉が影であり、〈明るい自分〉が光である。私は小学校で不登校になってからの8年間、暗黒ぼっち時代を過ごした。中学・高校はなんとか学校に行ったが、周囲と上手く馴染めず、「私は周りからどう見られているのだろう」という自意識にいつも苦しんでいた。『明るい人たち』が羨ましく、仲良くしたいと思っていたのに、恨みの気持ちもあって、わけのわからない感情にさいなまれていた。簡単なあいさつもままならず、コミュニケーションが取れなかったため、周囲と自分は”別世界”にいるという感覚で過ごした。〈暗い自分〉が大嫌いであった。完全に、周囲の世界から心を閉ざしていた。

 

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↑暗黒ぼっち時代ピークの高校生の私。全くつまらなさそうな顔である。

 

 

 

私は、小さい頃は明るくて元気な(というか、しつこい)性格であり、〈明るい自分〉であった。気にいった男の子は追いかけまわし、先生から「ダメ」と言われることをしたりと(笑)、やんちゃだった。だからこそ、暗黒ぼっち時代の私は「これが本当の私ではない」と常に感じていた。「本当の私は明るいし、面白い。でも、周りからはおとなしいと見られている。ならば、そのイメージに合わせなければいけない。でも、本当は明るいし…どうしたらいいのか?」という無限ループに陥っていた(笑)

 

しかし、そんな暗黒ぼっち時代は、大学生になってからの”イメチェン”のおかげで、一旦幕を閉じた。ルックスがチャラくなった私は、もりもり明るく振る舞った。「明るくて元気だねー」と言われるのが、快感だった。〈明るい自分〉が優勢になり、これが本当の私なんだ!と思うことができた。

だけれど、どんどん明るくなればなるほど、どんどん空っぽになっていく感覚があった。これは一体なんなんだろう?こんなに楽しく人と接しているのに、本当の自分が失われている気がする。本当の自分と思っていたものが自分ではなかったのか?またもや無限ループに落ちてしまった(苦笑)

 

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心理学者のユングは、”影”について次のように言及している。

影は、我々人間が前向きな存在であるのと同じくらい、よこしまな存在である。我々が善良で優れた完璧な人間になろうと努めれば努めるほど、影は暗くよこしまで破滅的になろうとする意思を明確にしていく。

人が自らの容量を超えて完全になろうとするとき、影は地獄に降りて悪魔となる。この自然界において、人が自分自身以上のものになることは、自分自身以下のものになるのと同じくらい罪深いことであるからだ。

 

 つまり、光のあるところには影があり、影のあるところには光がある。どちらか一方を優勢にしてしまうと、もう一方は押しやられてしまい、”破壊的な力”を持つようになる。私は〈明るい自分〉を優先するあまり、〈暗い自分〉をないものにしようとしていた。”影”の部分を捨て去ろうとした。そして、知らず知らずのうちに、私は自分を危険な状態に追いつめていった。それは、明るく振る舞った後の「落ち込み」がひどくなったことだった。逆に、家にいて鬱々した気分でいて、外に出ると爆発したように明るく振る舞った。いわゆる、”躁鬱傾向”が顕著に出るようになった。

〈明るい自分〉だけを見られることに、限界がきていた。〈暗い自分〉も知ってほしかった。そうしないと、どんどん”影”の部分が私を呑み込み、”光”と”影”のバランスが完全に崩れてしまいそうだった。私は、この『心のねじれ』を誰かに理解してほしかった。

 

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そんな時に、ミスiDを発見した。そして、今年のオーディションテーマは《ぼっち》だった。絶対に応募しようと思い、全力投球で自己PRを書いた。その自己PRは、ぼっちだった自分が、積極的に人と関われるようになり、社会と上手く向き合えるようになったサクセスストーリーに仕上がった。猛烈な違和感を覚えながらも、その時の私は、そのような書き方しかできなかった。

 

だけど、応募締め切りの前日になって、ある人に指摘された。「これは、実際のあなたと違うよね?」と。

『あなたは、社会と歯車が全く噛み合ってないのに、それでも全力で人と関わろうとしている。ぐるぐる回して、少し引っかかることはあっても、大体は空回り。それでも、あなたは気にせず回し続ける。そこが魅力でしょう?「ぼっちだった」と過去形で、今のあなたは何?「ぼっちの私でも表に出て行きたい」が本当でしょ。あなたの書いた自己PRは、リア充気取りのサクセスストーリーで、そんなの誰も読みたくない。上手くいかないけど、それでも表現していきたい!と思うのなら、それはすごいことだよ。』

 また、別の人からは『地味で人と話すのが苦手なあなたの方が魅力的だよ』

 と言っていただけた。あぁ…やっと私の本質を見てくれる人が現れた。そう思うと涙が出てきて、本当の自分で、初めて人前で泣けた。そして、本音の自己PRを書いて、2次選考にも進んだ。自己PR動画撮影では、アドバイスをもらいながら自分らしい紙芝居を作ることができ、ありのままの自分でカメラの前に立つことができた。審査員の方たち全員が顔をあげて見てくれた。動画はYouTubeにアップされ、多くの人に見てもらえた。

 

↓ド緊張しながらの自己PR。セリフが長いので早口。

 

www.youtube.com

 

本当の姿で、最も苦しかった時期について、人前で語れたことは、私にとって大きな達成なのだ。〈明るい自分〉と〈暗い自分〉の両方がいなければできなかったことだ。今では、どちらの自分も肯定できる。”自分自身になる”プロセスをたどっている。個性化への過程を歩んでいる。『表現する側』の立場になり、人々に与える役割を担っている。私の中の一つの確信は、私の存在が誰かの励ましになることだ。不登校、人と上手く話せない、就職できない、身体が弱い…たくさんの苦しいことを経験してきたが、これらはすべて誰かの『心の支え』となると信じている。だから、私は人前に立つ。自分にとって大切なものを、他の誰かに譲っていくことが、私の課題だ。

 

私の病を治療してくれた『ミスiD』。選考が終わるまで、私は魂の表現を追求していく。

 

 ゆか

 

=★現在、アイドルオーディション《ミスiD》セミファイナリスト選考中です★=

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